【雑考】備忘録

 

※まだまだ考察の余地あり/アイデア段階※

 

コスプレイヤーについて 

 

2017.10.15 記

森村泰昌の名画コスプレなどは

・他者(絵や映画の人物)として鑑賞され自分(森村泰昌)として批評される

・しかし誰もが知るものであるからこそ「森村が黄色人種の日本人の男性である」ということが際立つ

→作品に埋没してるのに個が際立ってしまうのは二律背反では?

 

アニメキャラのコスプレイヤーもキャラクターとして鑑賞されコスプレイヤー本人として批評され、しかし同じキャラクターをほかの人がやればやるほどコスプレイヤー本人の「個」が際立ってしまうという二律背反がある

 

ある程度以上の「個性」は日本社会では嫉妬の対象になり嫌われやすい(ex就活スーツ)、がそれでも物語のヒーロー/ヒロインのようになりたい、なにかを表現したいという願望→アニメキャラという免罪符でのコスプレ活動

 

「個性」を打ち出せないのは日本社会の悪面であるが、森村は免罪符として他者の引用をしているわけではない→森村が「アート」でありコスプレがその域に達せない一因ではないか

(個人的にはコスプレ写真は撮影技術や世界観の作り込みがすごくて作品として成り立ってると思うが)

 

コスプレイヤーが増殖し受容されつつあるのはインターネットの功績か?それともコスプレが必要とされる社会だからなのか?