【雑考】信仰についておもうこと 3/6追記あり

 

最近、信仰について考えることがよくある。思えば、シリアでisが出たり米大統領選だったり、日本人の私には全く無関係と思われる信仰について思いを巡らすことが多くなった。

最近、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの「自省録」を読んでいるのだけど、古代ローマ皇帝も「神々(ギリシャ神話の)がそんなふうにはしない」とか、神に対する言葉がよく出てくる。

私は別にこれといって信仰があるわけじゃないし、八百万の神九十九神、全知全能神なんでもありだとおもってる。これは私が日本人だからだろう。

ただ、美術史という学問をやってるからには、やっぱり神様と対面する場面は多いわけで、古代の地母神土偶ギリシャ神話やキリスト教の絵画や仏像にモスクの装飾等々、様々な信仰や宗教をかじった。

とくにキリスト教の絵画や教会建築は去年の夏にヨーロッパを回ってたくさん見てきた。

 

私は教会がすきだ。賛美歌やオルガンが響くように、音の響きがよくて、ろうそくが灯ってて、なんか安心するし、神域だなぁという気がする。神社の参道は女性の産道であり、神社を参拝することによって「生まれ変わる」というのを本で読んだけど、教会は体内という気がする。教会の形自体が十字架の形の場合も多く、それはキリストの身体の暗喩だなんて話もあるし、「神の中にいる感覚」がある。

教会も色々ある。ドイツのケルン大聖堂は観光地化されていたけど、歴史の重みで神域感あったし、でも同じく観光地化されてて築年数の浅いサグラダファミリアは神域感は薄かった(もちろんとても壮麗で素敵なのだけど)。思い出すのはフィレンツェのオーニッサンティ教会だ。一応ガイドブックには載ってるけど、ほとんど観光客がいなくて、私もそこにボッティチェリが眠っていなければ行かなかった、ホントに小さな教会だった。真剣に祈る女の子と、十字架を見上げる老婆、門の前に物乞いと、数人の観光客、そして修道士のひとがひとりだけの空間がとても心地よかった。神に愛され、見守られているというのが実感できた。静謐な空間だった。

静謐といえば、この頃朝の代々木上原を電車で通ることが何回かあったけど、朝日を浴びて輝く東京ジャーミイは神の「存在」を思えるものだった。モスクというものに行ったことがないので、今度礼拝がない時間に見学したい。

駆け込み寺、とはいうけど、寺というか仏教とはなんか違う。龍安寺とか、私は好きなんだけど、あれはもっとこう哲学する場所だと個人的には思う。自然との繋がりを求めてるときには最高だろう。

 

どの宗教であるかは関係なく、見守られる安心感があって、心が落ち着いて、「ここには居場所がある」という感覚があって、背筋が伸びるような、オープンな空間はなかなかない。そういう空間が身近にある人々はとても羨ましいし、幸福な人だと思う。

 

2017.3.6

http://menhera.jp/2108

 

めっちゃわかりやすーい!

メンタルがヘラってるのは私もだから、この記事の気持ちがすごくわかる。「思考を整理する場所」ね、なるほど、しっくりきた。生きるための信仰も、私は全然アリだと思う。ただ、子供や家族を含めた他人に自分の信仰を押し付けてはならないと思う。